2016年05月15日

アメリカ大統領選は、なぜ1年以上も時間をかけるのか?


4年に一度の一大イベント、アメリカ大統領選が本格化してきた。今回はトランプという小台風がある。おそらくヒラリーが勝ち残るだろうが、トランプにならないとも言い切れない。なかなかスリリングな展開だ。
それにしてもアメリカ大統領選は、日本の首相を選ぶのに比べるとわかりにくい。そこで、なるべく要点にしぼって解説してみようと思う。

選挙は2回!

アメリカ大統領選は、2段階に分けて行われる。

1.予備選挙(党内候補同士の闘い)
第1段階が予備選挙だ。予備選挙では、2大政党である共和党と民主党が、それぞれの候補を決める。
予備選挙にはプライマリーとコーカスという、2つのシステムがある。プライマリーは日本の選挙と同じような投票形式である。他方、コーカスは集会を開いて話し合いながら全国党大会に出席する代議員を決めるものである。各候補は各州・地域ごとに割り振られた代議員の獲得数を競うこととなる。

予備選挙はおおむね1月か2月に始まり、2月か3月のスーパーチューズデー(多くの州が予備選を行う火曜日)に大勢が決まり、6月くらいまで続く。
全国党大会は、共和党はミネソタ州セントポールで、民主党はコロラド州デンバーで夏に行う。7月後半〜9月後半だが、今回は両党とも7月だ。そして、代議員が集まって、党の候補を1人に絞り込む。ある候補が過半数の代議員を獲得した段階で、勝利宣言を行う。

2.本選挙(共和党候補と民主党候補の闘い)
1845年に定められた連邦法により、11月第1月曜日の次の火曜日に、有権者は再び投票所へ行き、選挙人を選ぶ(予備選の代議員とは異なる)。そして、選挙人が大統領を選ぶ。
日曜日にしなかったのは、キリスト教徒は教会へ行く日だからだろう。


選挙人による間接選挙の始まり

選挙人制度は1787年のアメリカ合衆国憲法制定のときに導入された。
当時の合衆国は、現在の地図で言うと右側の約3分の1(東海岸寄りの13州)しかなかったが、それでも日本よりずっと広い。
馬車くらいしかない時代、投票に行くのも容易ではないし、政党もメディアも未発達で、政治家たちがどんな主張をしているかもわからない。文字を読めない人も多かったため、選挙人に任せることにしたのである。


選挙人が多い州を制した者が有利!

選挙人の数は人口に応じており、各州の上下両院の議員定数と同一で、全米で535人いる。また、州以外に首都ワシントンDCでは3人の選挙人が認められている。この計538人の選挙人によって大統領が選ばれる。
選挙人を選ぶ方式は各州に任されているが、ほとんどの州は1票でも多く取った候補が全選挙人を獲得する勝者総取り方式を採用している。選挙人の数は最少で3人だが、ニューヨーク州やフロリダ州では29人、テキサス州では38人、最多のカリフォルニア州では55人というように大差がある。したがって、選挙人の数の多い州を制すると格段に有利になる。
ちなみにこの方式は19世紀に習慣化した制度であって、憲法規定ではない。

アメリカ選挙人数.jpg

大勢はマネーで決まる!

アメリカの大統領選は長期にわたる。その間、飛行機に乗って遊説に行ったり、テレビCMを流したりして、莫大な費用がかかる。そのため十分な資金を調達できない候補は脱落する運命にある。

候補たちは集金組織をつくり、金を集める。と言っても、金がありさえすればよいわけではない。石油王ジョン・ロックフェラーの孫ネルソン・ロックフェラーや『フォーブス』の社主スティーブ・フォーブス、資産家のロス・ペローなど資金豊富な候補が敗れた例も多い。政治家としての能力、人間的魅力、そして資金力と三拍子そろう必要がある。

今回の候補の選挙資金について『週刊ダイヤモンド 2016/4/9』p.45の集計に依って補足すると、次のようになっている。

ヒラリー・クリントン(民主党):2億2258万ドル
バーニー・サンダース(民主党):1億3986万ドル
テッド・クルーズ(共和党):1億1929万ドル
ドナルド・トランプ(共和党):3671万ドル

過去、資金が大きく不足した候補が勝利した例はない。その意味ではトランプも泡沫候補に過ぎないが、過激発言を繰り返すことでメディアに取り上げられることをねらい、資金不足の不利を補っている。
ただの馬鹿ではない。「あんな異常者は、いずれ脱落するだろう」などと油断していると、足元をすくわれる危険がある。


なぜ、アメリカ大統領の選挙戦は長期間にわたるのか?

アメリカの大統領選は、長い期間と莫大な費用がかかる。それは一見ひどく不合理だ。交通機関もインターネットも発達している今日、やり方を変えた方がよいと考える人はアメリカにも多い。
しかし、この不合理の中には叡智が籠められている。

民主主義には、重大な欠点がある。それは衆愚政治に陥る危険があることだ。ソクラテスはアテネの市民によって裁判にかけられて死刑を宣告され、毒杯を仰いで死んだ。
また、独裁制を生む危険とも隣り合わせである。ローマの共和制はカエサル(シーザー)によってあえなく崩壊し、フランス革命後の混乱に乗じてナポレオンは帝政を敷いた。

独裁制が悪いとは限らない。むしろ衆愚の民主主義より、英明な者による独裁の方が国力は増し、国民の暮らしは豊かになる。実際、カエサルやナポレオンには英雄のイメージも強い。しかし、常にうまく行くとは限らないし、惨禍をもたらす方が圧倒的に多い。典型例はヒトラーだろう。

合衆国憲法制定は時代的にはヒトラーよりもナポレオンよりも前だが、ワシントンやジェファーソン、マディソンといったアメリカのリーダーたちは民主主義の危険性をよく洞察していた。そのため、アメリカを独裁者の手の中に帰させないよう、細心の注意を払って現在の選挙の原型をつくり上げたのである。
それが、判断力があると思われる選挙人をまず選ぶことと、長い期間をかけて候補者をチェックすることなのだ。

アメリカ大統領選の場合、ワシントンの連邦選挙管理委員会に届出を出すことをもって、立候補受付となる。最長で4年間活動できるが、あまり長くても余計な金がかかるし、間延びしてしまう。本選挙の前年の労働者の日(レイバーデイ/9月第一月曜日)あたりが、ひとつの目安となっている。

そして、対立候補からのネガティブキャンペーンを受けるなど、徹底的にアラ探しをされる。飾りや仮面は剥がされ、本当の姿を国民の前にさらけ出すことになる。最初は熱を持って支持していた人も、次第に冷静になっていく。
最終的に大統領になったときには、誤魔化しや弱点もある、ただの人間であることが明らかになっている。
この方法によって、独裁者は登場できないようになっている。長期の選挙期間と莫大な資金を要する選挙戦は、民主主義を独裁政治から守る保険なのである。


制度疲労を超える叡智に期待!

アメリカの選挙制度も、ほころびが出始めている。勝者総取り方式は合理的とは言えない。2000年にジョージ・W・ブッシュ(息子の方のブッシュ)とアル・ゴアが接戦を繰り広げたとき、フロリダ州ではともに291万票以上を獲得し、その差は500票しかなかった。しかし、わずかに上回ったブッシュが25人の選挙人を総取りした。選挙全体を見ても、アル・ゴアが総票数で50万票も上回ったにもかかわらず、ブッシュに敗れている。

また、選挙人制度について細かく言えば、選挙人の数は各州の議員数に等しいが、その内訳は下院議員と上院議員の合計から成る。下院議員は人口比だが、上院議員は人口に関係なく各州とも2人。
2015年の統計をもとに計算すると、人口3914万4818人で最大のカリフォルニア州の場合、下院定数53に上院の2を足して選挙人は55人。一方、人口が58万6107人で最少のワイオミング州では下院は1、上院は同じ2で計3人。選挙人1人当たりの人口は、カリフォルニア州の71万1724人に対し、ワイオミングは19万5369人。1票の格差は3.6倍にもなる。

アメリカ大統領選の方式にも、こうした制度疲労の面があることは否定できない。それでもなお、長期間かけて人物を見るという長所は生きていると言ってよい。

今回の場合、普通に考えれば、大本命はヒラリー・クリントンだろう。しかし、選挙では何が起こるかわからない。優秀な人材の一騎打ちなら、どちらが大統領になっても大きな問題はないが、アメリカと世界に混乱をもたらすような人物を大統領にさせるわけにはいかない。
そんなときにこそ、アメリカ合衆国建国当時のリーダーたちが仕掛けた叡智のしくみが生きてくるのである。


緊急後記
2016.11.9

まさかのトランプに決まりましたね。アメリカは「変化」を求めたのでしょう。
この選択がアメリカ国民にとって吉と出るか、凶と出るかは、わかりません。かつて自民党に飽きた日本が民主党を政権に選んでガタガタになったようなことが起きるかもしれません。しかし、それも学びです。

日米安保もガタガタになり、中国が機に乗じて尖閣諸島に上陸してくるようなこともあり得ます。
日本にとって予断を許しませんが、ひどい目にあって、初めて軍事力を持つ大切さに気がつくといったことも考えられます。それもまた、よいのではないでしょうか?

そのときは、憲法9条をきちんと改正して、自衛隊を「国防軍」として位置づけようという動きが高まってくるでしょう。

さしあたり、産業の活性化と中国封じ込めの2つの意味を持つTPPを、オバマ在任中にアメリカ議会を通すよう、突破力のある人材をアメリカに送り、裏金でも脅しでも何でも使って働きかけるべきです。成立してしまえば、新しい政権も踏襲せざるを得ませんから。

それから、トランプとパイプをつくり、実利に訴えて政策を通していくこと。
政治は理念ではなく、利益と感情で動きます。
日本と共同で政策を進めることが、アメリカにとって利益になることを、しっかり理解してもらうことが重要です。
posted by たぬたぬ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

東京オリンピックのエンブレム問題から見える、ロゴ制作のあり方


東京オリンピックのエンブレムがようやく決まった。佐野研二郎氏のパクリ疑惑が浮上して社会問題化したため、再考はやむを得ないことだった。
しかし、新エンブレムについても、グラフィックデザイナーの浅葉克己氏から「なぜ、こんな作品を選んだのか。4作品ともデザインとして低レベル。これなら佐野さんの作品の方がよっぽど良かったと思う」 という意見も上がっている。
我が家でも、デザインと全く関係ない職業の妻が「なんか冴えないわねぇ」などと言っていたくらいだから、この意見に賛成する人は、広告業界や出版業界では少なくないだろうと、私は見ている。
4案のうち選ばれた市松模様案は、外国人にはストレートに伝わらない「無用な装飾」だ。「日本」をアピールするなら平安朝風の方がずっと優れているし、残りの3案は「これはないだろう」というくらいヒドい。高校生の美術展レベルだろう。

ロゴのデザインは難しい。デザイナーというよりは、クリエイティブディレクターとしての目が必要になるからだ。
どんなにデザイナーとしての才能があっても、依頼者の「思想」や「思い」を理解し、そのロゴがどのように使われるかをトータルで見据えていく目がなければ、小手先で形をいじくるだけで終わってしまう。
もっとも、こういうことはわかる人にしかわからない。一般の人の中にはこの種の才能に恵まれた人は少ないので、浅葉氏の真意はほとんど理解されず、非難轟々である。

が、一般の人でもわかる場合もある。
もしあなたが会社を立ち上げ、デザイナーにロゴを依頼したとしよう。そして、デザインが上がってくる。なかなかきれいにまとまっているが、何かが違う……。
それはあなたに見えているものが、デザイナーには見えていないからである。
逆にあなたが会社を立ち上げるにあたって、意思や目的がブレている場合、ロゴもどこかおかしなものになるだろう。
東京オリンピックのエンブレムも右往左往したため、ブレてしまった。何となく、おわかりだろうか?

こういうことはプロの世界の話なので、選考はTCC賞(東京コピーライターズクラブ賞)の選考委員クラスのクリエイターがあたるべきだった。と言うか、国家的事業なのだから、最優秀の人材で共同チームをつくってもよかった。「あーだ、こーだ」という会話から、よいアイデアは生まれるからである。

まあ、決まってしまったものは仕方あるまい。これで盛り上げていくしかないだろう。

               ◇              ◇

なぜ、このようなことを考えたのかと言うと、私もある会社の立ち上げにあたってロゴづくりを頼まれ、苦労した経験があるからである。
その頃、私はクラウドソーシングを代表するランサーズとクラウドワークスの2社を取材し、コンペで依頼すればたくさんの案が集まることを知って、興味を感じていた。クラウドソーシングとは、仕事を頼みたい人と仕事を探している人を結びつけるマッチングサイトである。
そのため、このシステムを利用することも検討したのだが、クオリティに不安が残る。
こう言ってはナンだが、Aクラスのクリエイターは、あまりこういうサイトにはいないような気がする。いや、こういうシステムも無視できない社会となっているので一応登録するかもしれないが、リアルでどんどん仕事が来る人は、依頼を出しても見ないような気がする。

そんなわけで、迷った末、仕事でつき合いのあるデザイナーの中から、「求めているものに作風が近いかな?」という人を選んで依頼した。小学館の仕事で何度も組んだことのある人で、デザイナーとしては水準に乗っている。

しかし、これが失敗でどうもピンとこない。結局、自分でイラストレーター(ソフト)を使って描いてしまった。
私は編集者であり、素人デザインだからうまくはないが、方向性を示すことくらいはできる。依頼者とデザイナーの仲立ちをして、何度も叩き直してもらい、何とか形にした。到底、お金に見合わない作業となった。

               ◇              ◇

ロゴ制作を依頼する場合、どういう点に気をつければよいだろうか?
本当の意味でのロゴをつくることができる人材が、そのへんにゴロゴロいるわけがない。クオリティを期待するなら、名前が通った広告代理店か広告制作会社に頼むのが無難だろう。TCCの『コピー年鑑』などを見て、広告制作会社やクリエイターを探すのもよいだろう。依頼方式は、できれば、コンペがよい。
また、私自身は使わなかったが、クラウドソーシングも「あり」かもしれない。「群衆の知恵」を活用することで、秀作や予想もしなかった発想の佳作が上がってくる可能性も、ないことはない。
気に入ったものがなかった場合、価格の何割かを支払って、「該当作なし」と発表すれば済むから気が楽だ。

また、模倣に対して過敏になり過ぎないことも大切だと、私は考えている。
佐野氏の作品にはバッグのデザインなど、「そのまんま」の未熟なパクリが多かった。それは確かによくない。

しかし、一方では模倣は創造の母であることも忘れてはならない。模倣が剽窃で終わるか、模倣をベースにさらに上のレベルへ上がっていくかは紙一重だが、コピペを絶対にダメとするのも文化の衰退につながるように思うし、模倣の意義を理解していないように思う。
学者になるには、先達の本を山のように読んでひとつひとつ消化していくのが王道であるし、文芸やアートも模倣から始まる。
そうやって、足腰を鍛えるのだ。
自分ひとりの創造性など、たかが知れている。憲法9条はアメリカ独立宣言やケロッグ=ブリアン条約のパクリだし、黒澤明の「七人の侍」をアメリカでリメイクして「荒野の7人」が制作された。文化を踏襲していくのも大切なのだから、デザイナーには、「真似は絶対ダメ」というようなプレッシャーを与えないほうがよい。

<注>低レベルのコピペを推奨しているわけではない。ある出版社から原稿依頼が来て調べていたら、その出版社の本を丸パクリしてテキトーに改竄しているサイトを見つけ、担当者に報せたこともある。
運営者名を記載せず、who isを隠しても、運営者を特定する方法はある。


真似をするにも才能が要る。才能がないと何を真似すればよいのかがわからないし、学び取ることもできない。
佐野氏は何を真似すればよいのかがわかる分、才能はあったと言えるが、そこで終わってしまった。
佐野氏のエンブレムも、もう一段たたき上げればよかった。探して得たアイデアを十分に消化して、もっと上のレベルへ昇華していくべきだったと思う。

最後にひとつ、もしもロゴづくりを依頼する立場に立った場合、非常に重要なことがひとつある。それは、すべての責任は自分が負うということである。問題が起きたときに制作者のせいにするようでは情けない。
きちんとしたディレクションは、ロゴに限らず、自分が全責任を負う覚悟があって初めてできる。
自分が考えていることや思いを正確にコミュニケートし、デザインがそれを体現しているかどうかを判断し、不足している場合はそれもきちんと伝えていくこと。それがよいロゴをつくるための唯一の道である。
posted by たぬたぬ at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス・産業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする