2016年06月30日

アベノミクス減速の本当の理由と解決法とは?



アベノミクスも、ここに来て手詰まり感が漂っている。今回は、この手詰まり感の正体を探ってみたいと思う。

まずはアベノミクスのシナリオを振り返ってみよう。

1.大胆な金融出動により多額の資金を市場に投入し、デフレから脱却する。
2.穏やかな(年2%程度の)インフレを起こす。
3.銀行やタンスの中に眠っているお金が動き出し、消費や投資に向かう。
4.景気が上向き、経済がよい循環に入る。

年2%のインフレというのは、1万円が1年後に9800円の価値に下がってしまうということである。現金で持っておくと損なので、モノやサービスを買う人や投資をする人が増え、経済は活性化されるというわけだ。

「1」は、まあ成功したと言ってよいだろう。経済の風景は、アベノミクス前と後では全く違ったものになっている。しかし、「1」から「2」の移行がうまく行かない。

もともと貯蓄好きの国民である上に、消費者には「失われた10年」以来の慢性デフレの記憶が染みついていて、大幅には預金を崩さない。
お金というものは金儲けの上手い人から下手な人へ、都市部から地方へ、上流から下流へ流れる水のように行き渡っていくものであるから、まずは大企業を儲けさせたが、大企業はいわゆる「内部留保」を溜め込んで、なかなか吐き出さない。
2014年4月1日に5%から8%に上がった消費税が、ボクシングのボディブローのようにじわじわと効いている気配もある。

一方、今の日本の社会では社会保障費の増大に伴う、「国の借金」の解消が大きな課題となっている。社会保障に必要な経費を賄うためには、先日IMFからも勧告を受けたように最低でも消費税を15%に上げる必要があるが、経済を失速させては元も子もない。政府は消費税10%への増税先送りを決断した。暗礁だらけの海で船を航行させるような、難しい舵取りが必要とされる局面となっている。

この状況を打破する施策のひとつとして、政府は今年2016年2月16日にマイナス金利を導入した。銀行にお金を預けると通常いくらかの利子がつくが、逆に利子を引かれるというものだ。と言っても、これは銀行が日銀に預けるお金の話であり、個人や企業が銀行に預けるお金は対象外なので、安心してよい。
銀行としては日銀に預けて「マイナス金利」を取られるよりは、個人や企業に融資しようと考えるであろうから、これにより経済を活性化させようというプランである。住宅ローンが下がるなど一般の国民レベルでも多少の影響は出始めているが、まだ、始まったばかりで、評価するには早すぎる。

               ◇              ◇

従来、アベノミクスは「円安・株高」を前提としていると言われる。このしくみを簡単に解説すると、次のようになる。

1.日銀が大量のお金を刷って市場に投入すれば、肉でも野菜でも大量にあれば価値が下がるのと同じで、投資家から見て円の価値は下がる。
2.円安に振れる。
3.輸出企業に有利となり、業績が上がる。
4.株価も上がり、景気が上向く。

ただし、安倍政権になって以来、長期的に円安であったトレンドがアベノミクスによるものかというと、それもまた買いかぶりだろう。為替というものは、国レベルで介入しても、必ずしも動かせるものではない。
検討してみると、自民党が政権与党に復帰したのを受けて第二次安倍内閣が発足したのは2012年12月26日だが、円高から円安への転換のきっかけになった日銀の介入はその前の10月31日に行われている。
日銀の介入が成功したのは、トレンドの転換点に当たっていたからと見る方が自然であり、アベノミクスが円安を起こしたと言うよりは、アベノミクスが円安にうまく乗ったと言うべきだろう。

安倍氏については、しばしばこのような幸運が見られる。国のトップが強運の持ち主というのは悪い話ではない。

しかし、当面の問題は6月23日のイギリスの国民投票でEU離脱が決定された影響で、長期トレンドが円高に転換するかどうかである。円安ももう少し続く可能性はあったが、そろそろ5年近くになるので転換してもおかしくはない。
今回、EU・日本・アメリカが協調して対応し、もち直したとしても、2〜3年以内にトレンド変換が起こる可能性は高い。そして、為替の長期トレンドが円高に換われば、アベノミクスにも悪影響が及ぶ。


余談だが、イギリスの国民投票の影響により、日本でもFX取引により大きな損失を被った人が多数出たと伝えられている。
ある程度のツールや経済情報はあるとしても、本当に為替の先を読める者は誰もいない。それなのに、頭の悪い人は踊らされてやってしまうし、頭のいい人は「賢ければ先が読める」と幻想を抱いてしまう。
しかし、FXは本質的に丁半博打であり、賭け事を長く続けていたら、いつかは胴元に負けるのと同じで、99.9999%負けると思った方がいい。一般の人は手を出すべきではないだろう。

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さて、アベノミクスについてだが、私は減速の原因の本質は、景気や為替、株価などよりも、産業構造の問題ではないかと考えている。

戦後、日本は外国から資源を輸入して、それを製品にして輸出する加工貿易によって国を富ませてきた。鉱石レベルでたった数円の原材料が、加工して付加価値をつけて製品化すれば、数万円にも数十万円にもなっていくのだから、工業というのは儲かる産業であるし、たくさんの国民を食べさせていける仕事である。
しかし、国が豊かになると、基本的にその国の通貨も強くなり、高い方へ振れていく。どうしても輸出産業には不利になる。

日本の加工貿易は、中国や韓国の台頭により大きく揺らいでいる。たとえば、シャープは台湾資本の傘下に入り、東芝など電機大手は大幅な事業の改革を迫られている。このことは、工業は先進国の産業でなくなりつつあることを暗示しているように思う。
これら大メーカーは、採用から始まって、開発、製造、販売など多くの部門から成る「大艦巨砲主義」によって運営されてきた。この体制を変革し、トランスフォーメンションを終えたら、強い企業として復活するだろうか?

               ◇              ◇

結局のところ、製造業では中国のような中進国では製造できないような、非常に高い技術を要する製品に特化していくのが基本となるだろう。数十年後にはそれとて追いつかれているかもしれないが、技術系ではほかに有効な対策はあまりないように思われる。

先進国で中心となっている産業は、観光やイベント、インターネット上のサービスや飲食業などのサービス業だ。アメリカのAppleなども製造業の顔とともにサービス業の一面を持っている。
サービス業の利益性は工業には及ばないかもしれないが、それでもこの道の先に光明を見出していくしかないだろう。

そのような次第で面白味のない結論に達してしまったが、マイナス金利政策やヘリコプターマネーといった施策の効果を確かめつつ、産業転換という過渡期の瀬を一歩一歩渡っていくことが最も着実な経済再生への道のりであり、近道はない。

この道を推し進めていくことが、今後のアベノミクスのあるべき施策だと思う。
posted by たぬたぬ at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 財政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

アメリカは、なぜ銃社会なのか?



フロリダ州オーランドのナイトクラブで、6月12日、男が銃を乱射して店内にいた客ら49人が死亡し、53人が負傷。オバマ大統領は国民向けに緊急声明を出し、「アメリカ史上で最悪の銃撃事件となった」と語ったという。

今朝の読売新聞の社説によると、年間3万人もの人々が銃の犠牲になっていると言う。日本人としては、なぜアメリカ人は銃を捨てないのかという疑問が湧いてくる。しかし、検索しても、「他人が持っているので、自衛のために自分も持つ」というようなことしか出てこない。疑問に思う方が知りたいのは、もう少し深いところからの社会考察だろう。
そこで、今回はアメリカの銃の問題について、解説してみたいと思う。

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アメリカというのは、きわめて特異な成り立ちの人工国家である。あの国は実は「思想」でつくられた国なのだ。その意味では、かつてのソビエト連邦がマルクス・レーニン主義でできていたのと同じである。では、誰の思想か? ジョン・ロックである。

ジョン・ロックは1600年代後半にイギリスで活躍し、現在の民主主義の基礎となる考え方を提示した思想家である。
主著のひとつに『統治二論』(統治に関する二論文)がある。2編から成り、第1編では王権神授説の主唱者ロバート・フィルマーを批判し、第2編では彼より半世紀ほど前に活躍した近代イギリスの先駆的な哲学者トマス・ホッブズを批判している。

批判されたホッブズの主著は『リヴァイアサン』。国家権力を、旧約聖書に出てくる巨大な怪獣リヴァイアサンになぞらえたことで知られる。その国家観は、現在の憲法に受け継がれている。強大な力を持つ国家を縛るものとして、憲法が出てきたわけだ。

ただし、ホッブズ自身はリヴァイアサンを悪いものとは考えていない。人は「自然状態」では好き勝手にやりたいことを追求するものであり、「人は人に対して狼である」と考えた。
そのような社会では、あっちでもこっちでも数多くの怪獣ビヒモス(これも旧約聖書に登場)が発生する。それらビヒモスを押さえつけるリヴァイアサンが必要だという考えだった。
例えて言えば、『北斗の拳』のラオウのような存在が必要だと考えたわけだ。当然、王権についても肯定的だった。

このようなホッブズの「自然状態」観に対し、ロックはもっと平和で調和的な「自然状態」を考えた。数学的な思考を用いて、「国ができる前には身分の差も貧富の差もなく、皆が平等で自由であった」と抽象化した状態を想定し、自由で平等な人間を「自然人」と呼んだ。そして、「自然人」たちは時代を経るに従い、必要を感じてお互いに契約を結び、社会機構をつくるようになったと考えた。

ロックにとって、王は神から選ばれた者ではない。王とは人々が契約によって国家をつくったとき、その権力を預けた者に過ぎない。王は自分勝手にふるまうことで人民を犠牲にしてよい存在ではなく、人民を守るべき者である。

言ってみれば、ホッブズは性悪説、ロックは性善説で、同じコインの裏表のような関係にあるのだが、後世に絶大な影響を与えたのは、ロックの方だった。やはり人間は、性善説を信じたいのだろう。
とにかくロックの影響は大きく、この点について政治学者の丸山眞男は「ジョン・ロックと近代政治原理」(丸山眞男著作集第4巻/岩波書店)の冒頭で、「ジョン・ロックは一言にしていうならば十七世紀に身を置きながら十八世紀を支配した思想家であった」と語っている。

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ロックの思想はルソーやモンテスキューに受け継がれ、ヨーロッパにおいてはフランス革命の思想的基盤となり、現代政治の基本とされる三権分立の概念を生み出す一方、新しい国であるアメリカにはダイレクトにインパクトを与えた。その最初の現われが、1773年12月16日に起きたボストン茶会事件である。

教科書では「茶条例に対する住民の怒りがボストン茶会事件を引き起こした」などと短い記述で済まされ、事件の理由を問われた受験生は「茶条例の内容に不満だったため」などと回答するわけだが、ロックの考え方に照らせば、本当の答えが見えて来る。

つまり、国家は人々の契約に基づいてできている以上、法律も人々の同意を前提とすべきである。しかしながら、アメリカ人の了解を得ずに、イギリスで勝手に制定した法律でアメリカから収奪するとは何事か、というわけなのだ。
アメリカ独立戦争も、現代最強の国家であるアメリカも、ロックの思想なしには成立しなかったのである。

アメリカ人は、たとえ本人に自覚がなくとも、ほぼ全員が骨の髄からのロック教信者である。
そして、ロックにとって人間が自分の身を守る権利は国家が成立する以前から存在する「自然権」であり、国家がこれを禁じることはできないと見做される。

それゆえ、発砲事件があるたびに銃規制の論議が持ち上がるが、抜本的な禁止には至らないのである。

<補記>
以上が根源的な理由だが、表層的な理由としては、銃の販売がビジネスとして根づいていることも挙げられるだろう。
アメリカでは政府、情報機関、警察、軍需産業、マフィアなどを網羅して支配するシンジケートが各組織に入り込んで網の目のように内部に浸透し、もはや大統領でも取り除けない状態となっていると言われるが、末端部分では銃器の売買にもかかわっていることもあり得る。
思想と現実で固めてしまえば、非常に強固なものとなっているだろう。
posted by たぬたぬ at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 国家論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする