2011年04月20日

ゴミできらめく世界〜海に流れ出た大震災の瓦礫と廃物〜

「人間は言葉で考える動物である」というとき、「言葉」という言葉は、途方もない広がりを持っています。話し言葉や書き言葉だけでなく、身体や道具などさまざまなものを含んでいるからです。外国へ行ったとき、現地の言葉を話せなくても、身振り手振りで意思が通じるのは、それが広義の言葉であるからです。美術や音楽も言葉であり、ダンスや演技も言葉です。そして、人がつくり出した物品もまた、すべて言葉であると言えます。

動物は言葉では考えません。「人の言葉を解するチンパンジーもいるじゃないか」というような反論もあろうかと思いますが、本筋ではないので横に置きます。

鳥は生を名づけない
鳥はただ動いているだけだ
鳥は死を名づけない
鳥は動かなくなるだけだ
(谷川俊太郎「鳥」より)

谷川俊太郎が詩に書いたように、人間以外の生き物はただ生きているだけです。感情は持っているとしても。
人間だけが生を「生」と名づけ、死を「死」と名づけます。

そのような意味で、東日本大震災で被害を受けた地域の家やマンションなどの建物や、その中にあったもの、それらはすべて「言葉」にほかなりません。

「言葉」には夢があり、幸せを願う思いがありました。
それらは崩れ、壊れて、瓦礫や廃物の山となってしまいました。言葉の、残骸です。

              ◇            ◇

瓦礫や廃物の多くは、海に流出しました。その量がどのくらいかは、簡単には把握できないでしょう。しかし、コンクリートや自動車のように重いものは海底に沈み、材木やプラスチックなどの軽いものは海面に浮かんで潮流に乗り、世界中へ散っていくであろうことは、容易に想像できます。

ハワイ大学を拠点とする日米共同の研究機関、国際太平洋研究センターは、漂流物は約1年後にハワイ諸島に漂着するという予想を発表しました。漂流物は太平洋北西部に広がったあと、東へ運ばれ、2014年3月には、カナダのバンクーバー付近からアメリカ西海岸に漂着するほか、その大半はカリフォルニア沖の海流に乗って向きを変え、2016年の春ごろ、再びハワイ周辺に大量に流れ着くと予想されています。
自然災害であるとはいえ、あまりにも規模が大きいため、世界の環境に与える影響が心配されています。

国連環境計画(UNEP)は、海上には1km2につき約1万3000個ものプラスチック系のゴミの破片が浮いており、なかでも北太平洋が最も深刻と伝えています。
また、太平洋上には「プラスチックの渦」と呼ばれる漂流ゴミのたまり場があり、「渦はテキサス州の2倍もの面積がある」と語るアメリカの研究者もいます。
テキサス州はアメリカではアラスカ州に次いで広く、陸地の面積は約680km2、その2倍なら1360km2です。日本は約380km2ですから、この話が事実とすれば、この渦だけで日本の3倍半以上の広さがあることになります。

この話に関しては面積あたりのゴミの数の基準がわかりませんし、少々話が誇大化されているような気もしますが、膨大な漂流ゴミの集まる海域があることは、確かでしょう。
日本でも、漂着ごみの問題は深刻です。 (財)環日本海環境協力センターによると、年間19万tものゴミが海岸に漂着しています。海岸の管理者は都道府県であるにもかかわらず、ゴミが漂着した市町村が負担を強いられるため、2009年7月、都道府県の処理責任を明確にする海岸漂着物処理推進法という法律まで施行されたほどです。

東日本大震災による漂流物も、多くがそのような海域に吸い寄せられていくでしょう。一方、散っていくものもあるでしょう。プラスチックは塩分や太陽光によって風化し、こなごなになりますが、簡単には分解しません。長大な年月の間、海をただようことになり、魚や鳥などによる誤食・誤飲が心配されます。重い材木は、他国の漁船の網にかかって、被害を与えるかもしれません。

それでも、大震災による瓦礫や廃物の山を「ゴミ」と呼ぶのは、日本国民として切ないものがあります。どんなに変わり果てていても、被災した方々にとっては生活基盤だった家屋や家財道具、仕事道具、それにアルバムなど、お金では買えない思い出の品々であるからです。

              ◇            ◇

海は、本来、すべてを飲み込み、浄化し、別の場所へ運んでいく大いなる自然です。
映画プロデューサーの小林一平さんは、1986年、父の小林大平さんとともに『黒潮物語・海からの贈りもの』という映画をつくったのがきっかけとなって、「黒潮物語」元気な子どもの会という団体を運営しています。
活動内容は、全国各地の小中学生たちとともに、手紙を入れたボトルを海に流すというものです。子どもたちは、思い思いのメッセージを書いてボトルに詰め、海に投じます。子どもたちは、大海原の向こうへ想像力の翼を広げ、いつの日にか、返事が返ってくるのを楽しみに待ちます。

潮の流れは、学校で習う黒潮、親潮の図のように単純ではありません。支流が複雑に入り乱れ、同じ地点で投入したボトルでも、太平洋側で拾われるもの、日本海側へ回り込むもの、アラスカ、ハワイ、フィリピンなどへ届くものなど、さまざまです。日本国内で拾われて学校同士の交流が始まったケースもあれば、外国から返事が届いたことも少なからずあります。

ボトルは、イルカなどが飲まないように工夫された特殊なものです。それでも小林一平さんのところには、しばしば「メッセージボトルは、ゴミではないのか?」という電話がかかってくるそうです。
たしかに「ゴミ」と言えば「ゴミ」かもしれません。しかし、何と貧しい発想でしょうか。

              ◇            ◇

東日本大震災による漂着物が各国の人々から、「ゴミ」という言葉で迎えられるのは避け難いでしょう。日本語が書かれた板切れ1枚なら、「へー、日本から来たのか」とはるかな海の彼方へ思いを馳せる想像力を持った人でも、海岸一面に漂流物が流れ着いたら、さすがにうんざりするでしょうから。

それでも、その「ゴミ」は日本の東北の人々がかつて夢や幸せを語った「言葉」の残骸なのです。


ゴミできらめく世界が 僕達を拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
   (スピッツ「空も飛べるはず」)

私は、スピッツのこの曲が好きです。とくに「ゴミできらめく世界」というフレーズが。
現代という時代は、プラスチックゴミに代表されるように、簡単には分解しないゴミで満ちあふれています。しかし、それは人間が発した言葉のきらめきも合わせ持っています。

谷川俊太郎の、

鳥は生を名づけない
鳥はただ動いているだけだ
鳥は死を名づけない
鳥は動かなくなるだけだ

...という詩は、次のワンフレーズで終わります。

空はいつまでもひろがっているだけだ

そう、人間がいなければ、自然はただ自然のままに広がっているだけでした。そこに言葉による「意味」を与えたのは、人間です。

大震災によって海に流れた瓦礫や廃物は、もちろん環境によくないに決まっています。漁業の被害も深刻です。見た目の問題だけでなく、殺虫剤やペンキや油の缶が腐食すれば、中のものが漏れ出すはずです。

それでも、沿岸に沈んだコンクリートや自動車には、やがて海藻が生えて、生き物を育む揺りかごとなるでしょう。浮かんで流れる材木にはフジツボや海藻がついて、魚たちが寄ってくるでしょう。視点を変えれば、そんな希望も見えてきます。

こういった風景もまた、ゴミできらめく地球という星の姿なのです。
posted by たぬたぬ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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