2016年06月14日

アメリカは、なぜ銃社会なのか?


フロリダ州オーランドのナイトクラブで、6月12日、男が銃を乱射して店内にいた客ら49人が死亡し、53人が負傷。オバマ大統領は国民向けに緊急声明を出し、「アメリカ史上で最悪の銃撃事件となった」と語ったという。

今朝の読売新聞の社説によると、年間3万人もの人々が銃の犠牲になっていると言う。日本人としては、なぜアメリカ人は銃を捨てないのかという疑問が湧いてくる。しかし、検索しても、「他人が持っているので、自衛のために自分も持つ」というようなことしか出てこない。疑問に思う方が知りたいのは、もう少し深いところからの社会考察だろう。
そこで、今回はアメリカの銃の問題について、解説してみたいと思う。

               ◇              ◇

アメリカというのは、きわめて特異な成り立ちの人工国家である。あの国は実は「思想」でつくられた国なのだ。その意味では、かつてのソビエト連邦がマルクス・レーニン主義でできていたのと同じである。では、誰の思想か? ジョン・ロックである。

ジョン・ロックは1600年代後半にイギリスで活躍し、現在の民主主義の基礎となる考え方を提示した思想家である。
主著のひとつに『統治二論』(統治に関する二論文)がある。2編から成り、第1編では王権神授説の主唱者ロバート・フィルマーを批判し、第2編では彼より半世紀ほど前に活躍した近代イギリスの先駆的な哲学者トマス・ホッブズを批判している。

批判されたホッブズの主著は『リヴァイアサン』。国家権力を、旧約聖書に出てくる巨大な怪獣リヴァイアサンになぞらえたことで知られる。その国家観は、現在の憲法に受け継がれている。強大な力を持つ国家を縛るものとして、憲法が出てきたわけだ。

ただし、ホッブズ自身はリヴァイアサンを悪いものとは考えていない。人は「自然状態」では好き勝手にやりたいことを追求するものであり、「人は人に対して狼である」と考えた。
そのような社会では、あっちでもこっちでも数多くの怪獣ビヒモス(これも旧約聖書に登場)が発生する。それらビヒモスを押さえつけるリヴァイアサンが必要だという考えだった。
例えて言えば、『北斗の拳』のラオウのような存在が必要だと考えたわけだ。当然、王権についても肯定的だった。

このようなホッブズの「自然状態」観に対し、ロックはもっと平和で調和的な「自然状態」を考えた。数学的な思考を用いて、「国ができる前には身分の差も貧富の差もなく、皆が平等で自由であった」と抽象化した状態を想定し、自由で平等な人間を「自然人」と呼んだ。そして、「自然人」たちは時代を経るに従い、必要を感じてお互いに契約を結び、社会機構をつくるようになったと考えた。

ロックにとって、王は神から選ばれた者ではない。王とは人々が契約によって国家をつくったとき、その権力を預けた者に過ぎない。王は自分勝手にふるまうことで人民を犠牲にしてよい存在ではなく、人民を守るべき者である。

言ってみれば、ホッブズは性悪説、ロックは性善説で、同じコインの裏表のような関係にあるのだが、後世に絶大な影響を与えたのは、ロックの方だった。やはり人間は、性善説を信じたいのだろう。
とにかくロックの影響は大きく、この点について政治学者の丸山眞男は「ジョン・ロックと近代政治原理」(丸山眞男著作集第4巻/岩波書店)の冒頭で、「ジョン・ロックは一言にしていうならば十七世紀に身を置きながら十八世紀を支配した思想家であった」と語っている。

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ロックの思想はルソーやモンテスキューに受け継がれ、ヨーロッパにおいてはフランス革命の思想的基盤となり、現代政治の基本とされる三権分立の概念を生み出す一方、新しい国であるアメリカにはダイレクトにインパクトを与えた。その最初の現われが、1773年12月16日に起きたボストン茶会事件である。

教科書では「茶条例に対する住民の怒りがボストン茶会事件を引き起こした」などと短い記述で済まされ、事件の理由を問われた受験生は「茶条例の内容に不満だったため」などと回答するわけだが、ロックの考え方に照らせば、本当の答えが見えて来る。

つまり、国家は人々の契約に基づいてできている以上、法律も人々の同意を前提とすべきである。しかしながら、アメリカ人の了解を得ずに、イギリスで勝手に制定した法律でアメリカから収奪するとは何事か、というわけなのだ。
アメリカ独立戦争も、現代最強の国家であるアメリカも、ロックの思想なしには成立しなかったのである。

アメリカ人は、たとえ本人に自覚がなくとも、ほぼ全員が骨の髄からのロック教信者である。
そして、ロックにとって人間が自分の身を守る権利は国家が成立する以前から存在する「自然権」であり、国家がこれを禁じることはできないと見做される。

それゆえ、発砲事件があるたびに銃規制の論議が持ち上がるが、抜本的な禁止には至らないのである。

<補記>
以上が根源的な理由だが、表層的な理由としては、銃の販売がビジネスとして根づいていることも挙げられるだろう。
アメリカでは政府、情報機関、警察、軍需産業、マフィアなどを網羅して支配するシンジケートが各組織に入り込んで網の目のように内部に浸透し、もはや大統領でも取り除けない状態となっていると言われるが、末端部分では銃器の売買にもかかわっていることもあり得る。
思想と現実で固めてしまえば、非常に強固なものとなっているだろう。
posted by たぬたぬ at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 国家論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

孤独な大国、中国が抱える内憂


昨年9月7日に尖閣諸島で中国漁船による海上保安庁の監視船への衝突事件が起きたとき、日本は中国船船長の勾留を延長したのにかかわらず、起訴しませんでした。「事を荒立てるのはよくない」という考えによるものと思いますが、事を荒立てた方が外交的にはよかったのではないか、と思います。
あのとき中国共産党は、日本が引かなかったら、軍事的措置を取らざるを得ないところまで自らを追いつめていました。もし、実際に軍事行動を起こしたら、どうなるか?
日本にはアメリカという同盟国がありますが、中国には友人がいません。北朝鮮がいるとは言え、これは迷惑な友人。軍事行動を起こしたら、国際社会で孤立するだけでした。
日本が簡単に船長を釈放したのは、あまりにも外交下手。ホッとしたのは、むしろ中国だったでしょう。

              ◇             ◇

先月下旬、中国の温家宝首相と韓国の李明博大統領が東日本大震災の被災地に入り、福島市で菅首相と合流して、被災者を見舞いました。その意図はわかりやす過ぎて、今さら書くほどではありませんが、3国の協調や融和を演出しつつ、原子力利用でも協力して行くことを確認したわけです。中国は伸びて行く工業生産を支えるために、韓国は国を挙げて原発プラント事業を進めるために原発推進を望んでいます。

この被災地訪問にタイミングを合わせるように出て来たのが、中国船の船長による「連行されるとき、海上保安庁の職員から暴行を受けた」という発言です。香港紙「明報」のインタビューに答えたものということですが、これは仕組まれたものではないか、と思います。

中国は一枚岩ではないという話は、以前にも大震災外交の裏を読む(1)中国の対日外交に書きました。
私は、日本と中国の融和を望まない人民解放軍系の勢力のだれかが、温家宝の外交的成果をつぶすために、船長に金を渡し、「あなたは英雄だ」とか何とかおだて上げて、発言させたのではないか、と考えています。相手はただの酔っぱらいですから、工作は簡単です。

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中国では、胡錦濤国家主席の後継者は国家副主席の習近平にほぼ決定しています。
しかし、習近平が人民解放軍を統率する党中央軍事委員会の副主席に就いたのは、昨年の中国共産党第17期中央委員会第5回全体会議(5中全会)のことで、総書記就任はその2年後の2012年秋の予定です。これは胡錦濤が国家主席・総書記となる3年前に同じポストに就いたのに比べて、1年遅れています。

一説には胡錦濤が習近平に権限を移行させていくことで、自らがレームダック化するのを怖れているとも噂されていますが、後任人事が難航している可能性もあります。実際、昨年秋の4中全会の時点では、習近平はライバルである李克強筆頭副首相を支持する共産主義青年団派による激しい抵抗があい、辞退せざるを得ませんでした。

中国は共産党の一党独裁とはいえ、多くの「派」があります。たとえば、産業振興政策を進める経済官僚と、古い軍部体質を持つ人民解放軍の間には深い溝があります。経済成長のためには西側諸国と協調し、貿易を進行していく必要がある一方で、人民解放軍を掌握せずに総書記の座に就くことはできません。

古来、中国では群雄が割拠してきました。秦の始皇帝以来、中国は統一されてあるべきものという病理に支配され、「ひとつの中国」にこだわるのは、その反映でしょう。手綱を緩めれば、分裂してしまう危険を自覚しているからこそ、中国は強権で全体をまとめようとするわけです。

中国は、今後どこへ行くのか?
その問いの向こうには、内憂を抱える中国の姿が浮かび上がってきます。
中国国内には漢族のほかに55の少数民族が暮らし、内紛の可能性を内包しています。
また、貧富の差の問題も深刻です。インターネット人口は、4億5000万人もあり、エジプトの民主化運動がツイッターなどをベースに広まったように、ウェブの中から新たな劉暁波のような活動家が登場して、一気に民主化運動が盛り上がらないとは限りません。むしろ、運動が起きる可能性はいつでもあると言うべきでしょう。

中国といえば、少数民族を弾圧し、強硬な領土拡大政策をとるこれからの大国のイメージがあります。しかし、それはたくさんの内憂を抱え、友人を持たない孤独な国の裏返しの姿であることを認識しておくのも大切です。
posted by たぬたぬ at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 国家論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする